過去を尊び、現在を見つめ、未来へつなぐメッセージ
創業者・密城忠信が久留米市東町で
小さなホルモン屋をはじめたのは1969年のことだった。
あれから50年、
忠信の夢は、二代目・密城英成に受け継がれ、焼き肉の文化は若者にも浸透しつつある。
次世代を担う若手社員たちが等身大で語る大昌園のおもてなし、
仕事のやりがい、夢・・・そこには、100周年を見据えた未来が待っている。
代表取締役 密城 英成 Mitsushiro Hidenari
「大昌園とは…なくてはならないもの」
(必要とされないものは淘汰される)
本店主任 住屋 誠 Sumiya Makoto
「大昌園とは…家族」
(居心地がいい、自分が帰れる場所)
本店ホール主任 髙石 有美 Takaishi Ami
「大昌園とは…私」
(自分を形成してくれた場所だから)
小郡津古店主任 宮脇 真彦 Miyawaki Masahiko
「大昌園とは…かっこいい」
(先輩が、父親が、かっこいいことが入社動機だから)
ちっごお菓子工房 ピミル・オルペミ デザート室 白石 優 Shiraishi Yuu
「大昌園とは…情熱と人情」
(仕事への情熱と人の温かみ、二つが揃って大昌園になる)
「出逢い」を語る
まずは自己紹介を兼ねて、大昌園に入社したきっかけを教えてください。
鹿児島県出身で大学進学を機に久留米に来て、まかないで焼き肉が食べられる!と思ってアルバイトを始めたことがきっかけです。
ありがちな動機や(笑)。
(笑)。でも大学の勉強より大昌園の仕事の方が楽しくて、何より先輩たちの働く姿が本気でかっこいいと思いました。
私は、愛知県で工場勤務を3年経験し、顔が見える仕事がしたいと思い、以前アルバイトでお世話になった大昌園に戻ってきました。接客の仕事ってこんなにおもしろかったんだと改めて実感し、自分から「社員にしてください」とお願いしました。
私は大学生のとき、就職の合同説明会で初めて大昌園を知りました。もともと食の分野に興味があったことと、大昌園は料理やデザートも自分たちでプロデュースをしていることが入社動機になりました。
私の場合は高校生のとき、姉が大昌園でアルバイトをしていて「就職するなら、絶対大昌園がいい」と薦められたのがきっかけです。
はっきり覚えてるよ。最初は、どうせ甘い考えでお姉さんを頼って…と思って、電話でひとこと言ってやろうと思ってね。そしたら「将来の夢は?」と聞いたら「早く一人前になって親を安心させたい」って言うやん。それを聞いて涙がでて、「よし、分かった。出ておいで」って言ったよね(笑)。
はい。後ろで聞いていた親も「大昌園なら安心やね」と言っていました。最初は、長崎の五島列島から久留米に出て来て仕事の厳しさに直面しましたが、それはすべてお客さまや従業員のためで、すぐに「人」を大切にする企業だということが実感できました。
「出逢い」を語る
まず面接で井上店長にお会いして、あまりの若々しさに驚きました。大昌園では、年齢に関係なく責任あるポジションが任せてもらえることに魅力を感じました。何より、どんなに忙しくても常にポジティブで頼りになるリーダーの姿は、尊敬する父の姿と重なって、憧れを抱くようになりました。
そうそう! 先輩たちがキッチンで肉をさばく真剣な顔と、ホールで接客をする笑顔のギャップがまたかっこいいんですよ。
あと、お客さまのSOSに気付くレーダーの感度がすごい! サービスのクオリティの高さに高級料亭かと思ったほど(笑)。一日も早く、先輩みたいになりたいと思いました。
それは、自分も東京で感じた。大学生のとき、実は両親には言わずに新宿の高級焼き肉店でアルバイトをしてたんよ。一流のサービスを学ぼうと思って。例えば、お客さまが来店したら、瞬時にその関係性や利用目的を察知することで、ドリンクの勧め方って変わるやん? 肉を捌くときの立ち居振る舞いから、キッチンとホールの連携プレーまで、ひと通り学んで思ったんよ。いや、まてよ? これ全部、筑後弁の赤いエプロン集団(大昌園の先輩たち)がやりようやん、って。
私、最初のころは「何番テーブルさん、どういうお客さま?」と聞かれても、「どういう」の意味が分からなくて(笑)。当時は、笑顔で感じのいいサービスが接客だと思っていたけど、用途によって求められるサービスは違うし、私の知識や経験があるほどお客さまは安心して食事を楽しむことができると気付いたときは衝撃でした。いまは後輩を指導する立場になり、スタッフの成長が本当にうれしくて、これも大昌園のチームワークのおかげだと思います。
後輩の成長は、本当にうれしいよね。去年は採用活動に関わって、新入社員が入社から独り立ちするまでの経緯を知っているので、その喜びはなおさらです。お客さまから「スタッフのこんな接客がよかったよ~」と言われると、自分が褒められるよりうれしくて(笑)、こんな気持ちになれるのも大昌園だからだと思いました。
「おもてなし」を語る
上津店に配属になったとき、サービスのレベルが高くて先輩たちに負けられないという気持ちが常にあったので、どんな些細なことでもメモをしていました。また自分が出産を経験すると、おもてなしの意識も変わりました。もともと設備として整っていたベビーベッドや授乳室など、案内するだけじゃなく、タイミングとか女性としての気持ちとか、利用する側の立場を理解したうえでサポートができるようになりました。
ホールでは「いろいろな音を聞き分けられるように意識しなさい」と言われたことも印象的でした。
そうそう!箸が落ちる音、ポットのお茶がなくなる音、いつの間にか他の仕事をしていても、音だけで「何番テーブル、ポットの交換」とか、気付くようになっていました。
他の飲食店に行くと、気が付きすぎて大変よね(笑)。
先輩の接客から学ぶことも多いですよね。上津店にいたとき、ほとんどのお客さまが来店すると必ず「主任は?」と東恩納智さんのことを尋ねるので、なぜかなと思って注意深く見ていたんです。そうしたら、お客さまとの会話が自然で、細かい情報がすべてインプットされていて驚きました。私にとって、接客の目標です。
ちょっと、この座談会できすぎじゃない(笑)? でも、みんなが常に大昌園のことを意識して、「おもてなし」の感覚が“ゼロ”にならないことは、すばらしいことと思う。どんなに技術が優れていても、心が伴わないとそれはお客さまに見透かされてしまうから。肝心なのは奉仕の心があるかどうかで、その積み重ねが「おもてなし」に表れて、大昌園の社訓にもある「幸せな空間」につながるよね。
「夢」を語る
では最後に、みんなの「夢」を聞かせてください。
いま29歳で独身の私(取材当時)が思い描く夢は、いつか結婚して子どもができても、「大昌園は、ずっと働き続けられる場所」ということを後輩たちに示すことです。女性も活躍できる未来予想図が描けたら、ずっと先までモチベーションを高く保っていられると思います。
同じことを考えていました。いま子育てをしながら大昌園で働けるのは、社長に結婚を報告したとき「これからは、女性の新しいライフスタイルを示すパイオニアになって」と言われたからです。女性でもキャリアを諦めずに続けられることを証明して、後輩たちの選択肢の一つになりたいですね。
私はずっと、入社したときから変わらない夢があり、それは「鹿児島に、大昌園をつくること」です。この味、このサービス、このクオリティを、ぜひ鹿児島のみんなにも知ってほしい。ここが自分の職場なんだ、ということを伝えたいですね。
みんな、自分の店舗が一番おいしいと思う、大昌園あるある(笑)。私は、これまで見てきた先輩の姿を、同じように後輩に伝えていきたいですね。そして、一人でも多くのお客さまに大昌園のことを知ってもらって、60周年、70周年をみんなで迎えたいと思っています。
私も、こんなに楽しい仕事にであうことはないと思って入社したから、それは後輩にも伝えていきたいと思います。社長の夢は、何ですか?
みんなで「食のプロフェッショナル集団になること」かな。AIやテクノロジーの進化が人間の仕事を奪うというけど、私は、大昌園で働いた経験があればどこでも通用すると思うし、知識と教養と技術をもった人材を育てることが、地域への恩返しかなと思っています。50周年はまだまだ志半ばなので、ぜひみんなで力を合わせて100周年をめざしたいと思います。本日は、ありがとうございました。